トラが木の周りをぐるぐるぐるぐると回り、バターになりました

「ここではないどこか」には、ここにはない周波があって、風が吹くように、雲が流れるように、潮が満ちては引くように、人は旅をするのかもしれない。


「暮らすように旅しよう」

そんな標語が出てきた昨今、テクノロジーの進歩と共に、旅行の手段目的の多様性が明らかになってきている。元来、旅とはなんだったのか。人が遠くへ行ってみようと一歩踏み出す動機はさまざま。冒険、興味関心、見聞興奮、伝聞拡散(←イマココ)といった感じであっている?

私は、ここ2、3年の間に出来る限り色々な場所に行こうとした。その世界はある友人に会ってから急速に開かれて、誘われるままに興味を向けていった。

私は自分で旅しながら、Airbnbのホストも始めて世界中のゲストを迎え、我が家にいならがにして世界中を旅していた。まさに「暮らすように旅しよう」を実践していた。そしていつしか思うようになった。


「地球が家」の時代

夜、寝室で寝て、朝起きて、リビングでコーヒーを淹れて飲む。

ありふれた光景。

それが、世界中の様々なロケーションで出来るようになるのではないだろうか。

世界中に朝コーヒーを飲む事が出来るスタンドがある。世界中に自分の帰りを待っていてくれるリビングがある。


しかしながら、そう簡単に「地球」は「我が家」にはならない。

「我が家」なのに、各部屋に何があるのか分かっていないのだから。


かつて先駆的な旅人は辿り着いたその地の日常に興味を持った。それはセンセーショナルな異文化との出会いがあったからかもしれない。命を賭し、そのエキサイティングさを人々に伝えようとした。その情熱こそが今日を作っており、長い月日をかけて変化を遂げようとしている。

先人達の思い描いた未来像はテクノロジーを発展させ、人々の感情の波を増幅させている。人類が初めて「旅」してからというもの、冒険→興味関心→見聞興奮→伝聞興奮→冒険...が繰り返し積み重ねられ、何万年経ったのか。「旅」は y=x^n (0<x, 1<n)で変遷している。クレジット決済、パソコン、インターネット、GPS、iPhone、Google、Wi-Fi、SNS、LCC、Airbnb、各種ホテル予約サイト、日本国旅券、プライオリティパス...これらの技術やサービスの誕生が現文明のラストスパートを合図している。

あくまで私の近い範囲で感じることではあるが、現代の旅人達は、ただ単純に非日常のストレスを味わう旅行ではなく、「非日常の世界の日常を知り、その日常に浸る事で日常化させる」そこに楽しみを覚えているのではないだろうか。それがラストスパートの合図によって可能になっているのである。

もちろん、商業的にまとめられたガイドブックやツアーを否定している訳ではなく、むしろその意識を強めていくことも重要だと考える。


ただ、尺度の革命が起きているのだ。時空の革命と言ってもいい。

「旅」の相対的認識も新しい要因かもしれない。

金曜の仕事終わりまで一緒だった知人が、飲み明かして翌日ブランチ頃に起きた時には、南の島でインスタ映えさせてる。

他者の脳内で一種の錯覚に似た「あれ?」という反応が起きる。もしかしたらこれがタイムスリップの一つの要素かもしれない。


何故、貴方は旅に出るのですか?

shimisanpo journal

流離の牧歌的 コミュニティオブザーバー しみお のサイト

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