セクハラ問題は新時代の幕開け?


きっと意味がある。


私はそう思います。

仮に裏で仕組まれてたとしてもランニングが流行って、皇居の周りをグルグルぞろぞろと人が走り回るのにも、これも流行りなのか政治的にそんな手法しか使えなかったからなのか、セクハラ問題が取り沙汰になるのにも、何かしらの生物としての行動の意味があるのだろうと思います。


先日、下の投稿をしました。

情報革命真っ只中というか、もう革命自体は終わろうとしている時に、人々は革命によって何が変わるのか、何が変わったのかを認識しなければいけないのだと私は思います。そうなんです。革命なのだから、今までの常識に劇的な変化が起きたということなんです。


それは単に、誰もがスマホを持つようになりキーボードを使えない若者が多いとかいうレベルではなくて。もっと覚悟を持って議論しなければいけないことです。


私が考えるのは、

「人にはあらゆる違いがあり、人類を一緒くたには出来ない」

ということを認めなくてはいけないのではないか、という題についてです。


つまり、差別や男尊女卑について、これまではそういう思考や発想をする人とそれを無いことにしようとする人と、見て見ぬ振りをする人がいた訳ですが、その争いは不毛なもので永遠に続くのだということを受け入れる必要があるのではないでしょうか。

そして、情報革命によって得られるビッグデータにより個々人の趣向性から、そのマインドなど、パーソナリティが明確になり、いわゆる「棲み分け」がなされるのではないかと思います。


高次元による、人類大移動です。


住み良い小さなコミュニティに分割されて生きていく。

キーとなるのは、「本能と理性」についての着眼だと思います。


「仕事以前にオスとメスであるということと、権力や立場の差がある仕事中であるということ」

これが上手く整理できずにあーだこーだ問題になっているのが、セクハラ問題なのではないかと思います。

女性は女性の人生として、美を追求するのはもっともなことで、それを抑制する必要はないと思いますが、男性は男性として、女性に対して気分が高揚するのは正常なことです。


「本能を理性で抑えつけながら生きるのには個々人にそれぞれ限度がある」


全人類に問われているこの前提を法や世論によって治める時、

「限度を越えてしまってからそれに対してペナルティを課すのではなくて、限度を迎える前に何かしらのコントロールが出来ないのだろうか」


ある意味、この課題を無意識にそれこそ何かしらの空気のパワーによって生まれたのがいわゆる草食男子という生き物ではないでしょうか。

草食男子とセクハラオヤジ。

スマートに女性を喜ばせる事が出来ない男たちが棲み分けた時、その先はどんな世界なのでしょうか…考えたくありません。





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