情報革命後の生き方について

おはようございます。今何時ですか?お天気は如何ですか?お元気ですか?

この投稿がどのように読んでくれている貴方に届いているのか、私にはよく分かりません。元々の知り合いで、Facebookにシェアしたのを気に掛けてくれたのか、全く知らない方がたまたま何かの流れで流し読んで下さっているのか…

スマホゲームの黎明期、Message in a bottleというアプリがありました。ユーザ一人一人のUIがビーチになっていて、メモに適当なテキストを打つとビンに詰められて、ビンの画像を上にスワイプすると、海に投げられる。そしてそのビンは誰かの海岸へ流れ着き、メッセージのやり取りが始まる。もちろん、自分の所にも知らない誰かのビンが流れ着きます。

情報革命が起きる前。
自分の主張を表現するという事は本当に覚悟が要り、骨の折れる事だったことでしょう。或いは、投げて終わりの儚さと夢見ものであったのでしょう。

ところが、今や、こんなどうしようもない一個人の作文が少なくとも何人かの元に届くという奇跡が実現しています。しかも返信の機会までついて。そんな半世紀前の若者には信じられなかった世界でその人達の孫以降の世代がどの様に生きていくのかという事を考えてみました。

端的に言うと、「己の興味関心に支配され兼ねない世界」で「モチベーションを高く持ち続ける」という生き方が求められる、ということではないでしょうか?

世の中の電子情報にアクセスすることは、情報を受け取っている様で、渡している。という事になるので、知らず知らずのうちに、マインドコントロールされてしまう可能性があります。

まるで、ロボットだと気付いていないロボットのような人。VRの世界にいることを忘れ、自分の好きなように好きなだけ走れて自由だ!と思ってしまう人。が現実的に生まれてきてはいないでしょうか。

自分の好きなこと、関心高いこと。それに関する情報が貴方の周りに無音で近づいて取り囲んでやしませんか?

日本の教育は、様々な巧妙で陰湿な手口によって「歯車生産」のシステムになっていました。それに感付いた情報革命初期の恩恵を受けた人達は、モチベーション高く、視野を広げたり、己の直感ベースで動くようになりました。ただしかし、その離脱した生き方を、これから生まれてくる子達にさせる時、強く釘を刺した方がいいと思います。

「疑う」というプロセスを抜かないこと。
自分の意志をメタ視して、たまにはその逆を選択してみること。

皆さんは、どう思いますか?

shimisanpo journal

流離の牧歌的 コミュニティオブザーバー しみお のサイト

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