終わりのない応答のダイナミズム
僕はこれまで、自分が何者なのか、どうして写真を撮るのか、自分の写真は何なのか、そもそも写真を撮りたいのかなどなど、自問を繰り返しては答えに辿り着けず、なんとなしに過ごしてきました。仮に自分が作家ならば、作家として、テーマが必要だとか、テーマに縛られてはいけないのでないかとか、多くの人の写真を見るべきだとか、影響されるから見ない方がいいかとか、初歩的な振舞い方についてもじもじしていたということです。
そんな折、お世話になっている先輩にお誘い頂き、札幌大谷大学美術科の岡部教授の最終講義へ参加してきました。お恥ずかしながら、岡部先生のことは存じ上げず、情報も何一つ得ないまま会場へ向かいました。僕の目的は、岡部先生に密着したドキュメンタリー映画を観ることのみでした。
会場に着くと、すぐに先生の作品が展示してありました。僕は美術館や展示会などの置かれたものを観るというのが苦手で、すぐに疲れてしまいます。なので、岡部先生の作風(建物の壁面や路上に紙をあて、その凹凸を鉛筆で擦りとるフロッタージュという手法)をチラッと垣間観る程度に開始時間を待ちました。
最終講義が始まり、まず最初に気が付いたのは、「自分はちゃんとアートを観たことがなかった」ということです。僕の周りには、多くのクリエーターたちがいて、それぞれ作品を生み出しています。が、それらは格好良かったり、可愛らしかったりしても、ズシリとくるものはありませんでした。心の表層をくすぐっても、奥底に突き刺さるものはなかったのです。いわゆる、クリエーターという存在の人たちと先生との作品の違いは何だろう、と僕は考えました。
それは、考え始めたときにはもうほぼ明らかでした。
社会の背景、作家の背景、観念(信念)があるかないか。
それが、映像とトークによって補完されることによって、先生の作品が迫ってきたんだと思います。それは「芸術は科学なんだ」という気付きも与えてくれました。少なからず、「アートって何!?」と斜に構えていた自分が過去にいた気がします。大学に芸術学部があるのだからそれが学問なのは、当然のことなのですが、そういうレベルの認識ではなく、心底納得したという感じです。芸術家というのは、「考えたり、語ったりするだけでは物足りない、器用な哲学者」なのかもしれません。
また、補完という意味では特に、音の効果がもの凄く影響していたと思いました。完成品の紙からは、制作過程の空間にある音をなかなか想像出来ませんでしたが、ドキュメンタリー映像が捉えた、紙を挟んでアスファルトと鉛筆が擦れ合うガッガッガガザガザガザという音を聞くことによって、浮かび上がってくる像の訴えがより強く感じられたと、僕は思いました。
そして、最も興味深かったのは、写真家の港千尋さんとのトークセッションに出てきた「植民地」というキーワードです。中国、台湾での芸術祭で「植民地」をテーマに話したということ、そして「北海道も植民地である」ということ。植民地化とは、虐げられるものを生むということ。
僕は、歴史とは、虐げられたものの哀しみの記録なのかもしれないと、ハッと思いました。
人類の歴史とは、悲惨なことばかり。歴史に刻まれる事件とは、悲劇である証拠。それを基に生まれる芸術もまた然り。確かに、栄華を背景に生まれた芸術もあるのかもしれません。豪華絢爛酒池肉林。しかし、その眩い光の下には黒い影があったことでしょう。直感でそう思ったので、詳しくは調べて勉強しないと分からないのですが。
思い返しても、「このとき、某は幸せだった」という歴史の授業は受けたことがない気がします(授業が全てではありませんが)。栄華というのは、権力の象徴。やはり、「権力者=幸せ者」という見方はどうも出来ません。そこには何か妬み、悲しみを感じてしまいます。
そんなこんなで、いろいろ考えているうちに、最終講義は終わってしまいました。どうしてもこの感動を伝えたいと思い、アンケート用紙を持って席を立ったときある言葉をフッと思い出しました。
某CMより「苦しいから謳うんです。我々俳優は哀しいから躍るんです。哀しみを哀しみのままにするんじゃなくて、苦しみを苦しみのままに終わらせるんじゃなくて、苦しみを勇気に、哀しみを希望に変えて差し上げるのが、我々俳優だ。と思うんですね。〜九代目松本幸四郎〜」
2013.02現在、テレビでよく目にするコマーシャルで、俳優の松本幸四郎さんが語っている言葉です。なんででしょう。頭のどこかに引っかかっていたのかもしれません。最後にこの言葉が浮かんだことにより、ひとつの道筋が見えたような気がしました。自分は何者なのか。
僕は、岡部先生のように哀しみを写すのではなく、幸せを写したい。松本さんのように、哀しいから撮りたい。そうだ、幸せの歴史を紡ごう。僕は幸せの編集者になろうと思います。
最後に、岡部教授、ご退任おめでとうございます。結局、直接お話することもなく帰ってきてしまいましたが、素晴らしい作品を拝見して、すこし風が吹いたような気がします。ありがとうございます。アンケート用紙にも記入しましたが、生徒さんたちに愛されているお姿がとてもハートフルでした。そんな愛すべき人たちに囲まれて創作できることを羨ましくも思います。今後ともお体にお気を付けて、終わりのない応答を続けてください。ありがとうございました。
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