ロバートのこと
とある知り合いの外国人が言いました。「日本人に対しての「初めまして」という挨拶が嫌いだ。Hi !!でいいじゃないか」と。文化の違いなのですね。「初めまして」を使う日本人は、はっきり相手を認識してから話を始めるのに対し、英語圏の場合は"Hi !"と話しかけてから「この人は誰だったっけ」と思い出すのかもしれません。明らかに初めての場合は別として。ただ、相手を目の前に、あやふやな記憶の中、"This is the first time for meeting with him."と限定するまでの時間と、それが間違っていたときのことを考えると、とりあえず"Hi !!"と気さくに話しかけて、"Do you remember me ?"と後出しした方が相手が自分のことを覚えていても、いなくてもスムーズに展開できるような気もします。
写真の彼は、Robert Arthur Mackeen。
彼は、僕に会って真っ先に「初めまして」と挨拶をしてくれました。僕は、このことこそが、以下に記していくことの何よりの証拠だと思います。全く科学的でも物理的でもありませんが、僕はその何気ない仕草から垣間見たものこそが真実だと思います。
これから話すのは、ロバートさんが受けた仕打ちとそれによって考えさせられることです。日本の生み出した思考停止人間と放置国家によって、ひとりの人間の尊厳が奪われたこと。その一人の勇気によって、ようやく氷山の一角が顔を出しているということ。勇気を出す前に尊い火を消され、放置国家の言いなりになってしまう人がほとんどだということ。日本ってなんなんでしょう。僕はロバートさんに直接会って、話を聞いて自分なりに考えてみようと思いました。
以下、ロバートさんとの会話からのまとめ
ロバートさんは、アメリカ人米軍兵士の父親と日本人の母親の間に、神奈川県の大和市で生まれました。1963年(昭和38)のことです。当時の国籍法は父権制度というもので、ハーフの子は父方の国籍しか取得できないというものでした。しかし、ロバートさんのご両親は、恐らくそんな法律があるとはつゆ知らず、大和市役所へ出生届けを出しに行き、担当した所員と市役所はそれを受理してしまいました。本当なら、市役所員が「この子の場合はアメリカ大使館へ行って下さい」と言うべきだったのに。
こうして、ロバートさんは日本で生まれ、日本の教育を受け、国民健康保険に入り、運転免許証も取りました。完全に日本人というアイデンティティを築いたのです。このまま、何事もなく時が過ぎれば良かったのかもしれません。もしかしたら、何も知らないまま過ごしていた方が幸せだったのかもしれません。ところが、神様はそうはさせてくださいませんでした。
1984年の秋のことです。1985年より現在のかたちの国籍法(MIXの子は、22歳になるときに父母どちらかの国籍を選ばなくてはいけない)が施行されるということになり、そのことからロバートさんの状況がおかしいことに気が付いた彼の友人が、「ロバートが日本人なのはおかしい」と指摘したのです。それを受けて、ロバートさんが大和市役所へ確認しに行くと、「あぁ、これは間違いですね」とその場で戸籍が抹消されてしまいました。ちょっと確認しに行った、その場でです。約20年、物心つく前から過ごしてきて、日本人としてアイデンティティが確立された若者の国籍をいとも簡単に目の前で剥奪したのです。
世界人権宣言 第15条
1,すべて人は、国籍をもつ権利を有する。
2,何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。
これはただの世界的政治パフォーマンスだったのでしょうか?私は、そうではないと信じたいです。しかし、それすらも許すまじというようなことが、「平和」と言われるこの国でまかり通っているのです。
かくして、ロバートさんはその瞬間から無国籍、不法滞在、疑われる立場になりました。ブラックなことを言えば、その判子を押した役人が電話を入れれば、彼は連行、逮捕、拘留されたのかもしれません。もし、そうなったら、「20年の不法滞在だ」と言うのですか?
優れたドラマーだった(もちろん今も!)ロバートさんは、ちょうど当時、バンドでヨーロッパツアーを回るため、仕方なくアメリカ領事館を訪れました。当然、無国籍の人間がスムーズに国境を行ったり来たりできることはないからです。アメリカ領事館は、本人も会ったことのない、ロバートさんの父親の情報を基に、アメリカ国籍を渡してくれました。行ったこともないのに。そう、一度も出たことのない日本で追われ、一度も行ったことのないアメリカに迎えられるという、これまた不可解な出来事です。
アメリカ領事館の人は「おそらく永住許可が出るでしょう」と言ってくれたそうです。当然、本人もそう思ってました。なんせ、向こうのミスですから。むしろすんなり元の戸籍、国籍に戻れると思っていたそうです。手違いで奪われたものが返ってくると考えるのは当たり前じゃありませんか。しかし、日本が出したのは3年の滞在ビザでした。
それから30年近く、ロバートさんはこの「3年」と戦ってきました。その堪え難い屈辱と疑心と戸惑いの応酬。なぜ、日本人の自分が日本に居させてくださいとお願いしなければいけないのか。なぜ、ずっとこの地で暮らしてきたのに、他所から来た人の扱いを受けるのか。この葛藤を僕は、どう理解すればいいのでしょう。弁護士や、代議士に相談しても、案の定、お決まりの「前例がない」という回答(いやいや、前例がないからこそやるべき仕事でしょうが!)ばかりだそうです。
もちろん、帰化という「手続き」の道がないことはありません。似たような境遇の人は、根負けして「帰化」するそうです。それゆえ前例がないのかもしれません。何事もなくようやく落ち着き出し、忘れかけたころにやってくる3年という期日。普通に考えれば、死ぬまでにあと何回この「拷問」を受ければいいのだろうと思うでしょう。
ロバートさんの問題の本質(彼の主張)は、
彼が「日本に住みたい」のでもなく「日本人になりたい」のでもないのです。不備法と行政のミスにより奪われた尊厳の回復と謝罪なのです。
ところが、日本の対応は問題の本質には見向きもしない、その場凌ぎの書類と判子の対応だけ。
うっかり更新を忘れると、当局は事例の少ないこのケースを無理矢理、既存のペーパーのフォーマットに合わせて処理をしようとして、毎回毎回その辻褄合わせに時間をとる。「すいませんね〜かたちだけですから」と言いながら彼を容疑者と呼び、フォームに合わせた回答を求め、分厚い資料を書かせる。本質の解決もせず、無駄なことに労力を掛ける。
ちなみに、法務省は戸籍を抹消した役人の対応は間違っていないという見解も発表しているらしいです。
「あなたが戸籍に載っていたからといって、日本国籍があるとは言えない」
「法律に照らし合わせれば、間違いはない」
なぜ、法律が現実とマッチしていないことを考えないのでしょうか。確かに、それを言い出したらきりがないのかもしれません。ならば、非を認めて超法規的措置をとればいいじゃないですか。きっと「在日」というくくりではいろいろな問題があるのでしょう。忙しいから法律を変えることは出来ないと言ったらしい代議士さん、2008年に「改悪した」と言われる法律はなんですか?なぜ付帯決議の対象が過去20年間限定なのですか?
ロバートさんは言いました。
「80, 90歳になってもこのことをモヤモヤと胸をムカつかせながら生きることを考えたら、早くすっきりさせて楽になりたい。そのために叫んできた。でも署名活動も上手くいかず、法務省のトップと話しても突っぱねられた。帰化してしまえばいいんだろうね〜でも、帰化したい理由はと聞かれて何て書けばいいの?なんで手続きして日本人にならなきゃいけないの?もうずっと日本人なのに」
沢山の仲間に恵まれて、彼はこれまで訴えてきました。ただ、WEBを使った署名活動も、マスメディアへの露出も、人権擁護委員会への要請も上手くいきませんでした。挙げ句の果てには、法務省のトップ(大臣なのかな?)にまであしらわれてしまいました。そんな状況を見て、中には「訴えて裁判したらいい」と奨める人もいたそうです。でもロバートさんには「なんで100 vs 0でこっちの方が正しいのに費用を工面してまで負けに行かねばならないのか」という素直な気持ちがあって、それを誤摩化すことはできないのです。彼の意見はおかしいですか?裁判にしたところで、することは書類仕事の内容となんら変わらないことは、容易に想像がつきます。「前例がございません」と言わない潔白な司法人がいて、尚かつ指名できれば別ですが。
最後に、僕は「ロバートさんの理想的なゴールってどんなかたちですか?」と尋ねました。
彼も最初は分からなかったと言っていましたが、「国籍がない」「外国人として居る」というのは、日常生活の中ではほとんど影響を感じることはないのではないか。ある意味そんな軽視が僕の中にはあるような気がしました。或はそれが、ロバートさんと対峙してきた「助けるべき人」たちの無情な対応に繋がるのかもしれません。
ロバートさんは答えました。
「正直、わからない」と。
たとえ、仲間が沢山いたとしても、それは社会的にマイノリティであり、その仲間とでさえも共有できない核の部分があり、それはそれは孤独な闘いだったと思います。彼はもう疲れています。もう、問題の解決も諦めかけています。
最初は、国籍を取り戻す闘いだったとロバートさんは言いました。それが、長い時間の中で変わったと。
「自分はもう、face to faceの人間関係が上手く行けばいいんだ。それには国籍なんてどこでもいい。ただ、MIXの子が、その親に降り掛かる様々な「都合」により人生を左右されるようなことがあってはならない」
きっと、長い時間の中でロバートさん自身も歳を重ね、自分が氷山の一角であることに気付き、「自分の問題」から「自分のような境遇者の問題」に変わっていったのだと思います。
今のハーフの子たちはいろいろチヤホヤされて、その境遇が表面には出てきませんが、22歳になれば父親か母親のどちらかを選ばなくてはいけないのです。彼らにとってはどちらも親なのに、どうしてどちらかを選ばなくてはいけないのでしょうか?
以上、ロバートさんとの会話からのまとめ
戸籍や国籍のペーパーはすぐに紙くずになるけども、ロバートさんの日本で培われたアイデンテティは奪うことはできません。彼は誰がなんと言おうと日本人なのです。
一番強く感じたのは、ロバートさんを目の前にして、話を聞いて、それでも問題の本質を解決しようとしない公務員の方々が、どう思っているのかを知りたいということでした。そもそも、問題の本質自体も理解されていないのでしょうか。
ある公務員のミスが原因で基本的人権を奪われ、何の回復も許されず、公務員に侮辱を受け続ける人生、あなたはどう思いますか?
0コメント